丸いテーブルに備え付けられた椅子に伊織の元プロデューサーは腰掛けていた。
少し肌寒く感じる様になった風を浴びながら穏やかな表情を浮かべている。
手には相変わらず文庫本サイズの枕草子が収められていた。
「ずっとこうなら良いのになぁ。後1ヶ月なのに、寒いのは嫌だなぁ…」
ぼんやりと低くなり始めた空を見上げていると不意に後ろから呼びかけられた。
「…デジャヴュ」
「まーた変な事をおっしゃる、特別枠殿は」
「主席殿と前にこうして呼びかけられた事があったなぁと思ってさ」
そう言って細い目をさらに細くして言った。
「もう3ヶ月近くも前の話しじゃないか?それ」
「そうだね」
「出戻るとは俺達は思っても無かったけどね」
元プロデューサーの肩を今度は缶コーヒーを片手に持った男性が軽く叩いた。
「次席殿か…ますますデジャヴュ」
「そんな事言ったら毎日デジャヴュするんじゃないのか?」
ははっと主席が笑った。
「そうかもね」
さらりと元プロデューサーが答える。
「まぁ、それも今日でお終いか」
次席が煙草に火を点けながら寂しそうに呟いた。
「まぁ、2人とも終業出来て良かったじゃない。僕はあと1ヶ月あるけどさ」
「異例で実績を上げた君が落ちるとも思えないけどね」
次席が煙草を加えたまま小さく笑った。
「まったくだ」
主席も相槌を打つ。
「そんなもんかなぁ…進路は、皆進路はどうするのさ?」
「ん〜俺はもう少しここに残るかな?勉強しておきたい事もあるし、付き人だと学ぶ事も多いからさ」
主席が煙草に火を点けて一口吸うとそう答えた。
「俺も残るかなぁ、どうしようかな」
次席が灰皿にトントンと灰を落とす。
「そんな事言って次席殿はちゃんと考えてるからなぁ。怖い怖い」
クククッと元プロデューサーが笑った。
「そう言う君はどうするのさ。放って置けるのかい?」
「うぅ、痛い所を突くね…」
「仕返しだよ」
クスッと次席が笑う。
「どうかなぁ…」
元プロデューサーは考える様に腕を組んだ。
「話しは変わるけど今日は飲み会だったよね?」
「え…?」
瞬時に元プロデューサーが真顔になる。
「用事があるなら日にちずらそうか」
次席が元プロデューサーの表情を見てそう切り出した。
「ごめん!そうして貰いたい!」
パシンと顔の目で手を合わせる。
「じゃあそうしよう。重要そうな用事だろうからね」
主席は次席と顔を見合わせた。
「そうなんだよね…まぁ半分半分かな。心境としては」
「ま、ゆっくり考えなよ。無論、向こうが待ってるって思わない方がいいと思うけど?」
次席が悪戯っぽく笑った。
「むぅ…そうなんだよね。まぁ、頑張って行って来るよ」
そう言うと元プロデューサーは手にしていた枕草子を鞄に突っ込んだ。
「…」
「…」
「…」
共に何も言わないまま時折コーヒーを啜る音や紙の焼ける音だけが流れる。
ゆらゆらと紫煙が黄金色に染まった空に舞い上がって行くのを見つめていた。
「早いに越した事は無いと思うんだよね」
突如、主席が口を開いた。
「う、うん」
「今すぐでも良いと思うんだよね」
「…」
「…」
「…」
次席は必死に笑いを堪えている。
「解ったよ!連絡するよ!」
「クッ!アハハハッ!」
「ま、それがいいよ。相手は今やトップアイドルだしね」
そう言いながら主席と次席はポチポチと携帯を操作する元プロデューサーをにやけながら見つめていた。
3ヶ月程前
無事に秋の祭典出場を終え何日かが過ぎた頃
伊織の携帯電話にメールが一通届いていた。
「?誰かしら、今日はオフを満喫してるのに」
送信者は765プロ、会社のメールを仕様して送信されていた。
メールを開封し内容を読んだ伊織は急いで出かける準備を済ませると家を飛び出した。
「ちょっと!どう言う事よ、これっ!」
丁度そこに居合わせた律子のプロデューサーに携帯電話の画面を押し付けんばかりに目の前にかざした。
「内容の通りだよ」
目の前の携帯電話をどかしながら律子プロデューサーは淡々と話した。
「いくらなんでも急過ぎじゃない!まだ1ヶ月も経ってないのよ!?」
「それはそうかも知れないけど」
律子のプロデューサーがコーヒーを一口啜る。
「彼はあくまでも臨時でのプロデューサーだったはずだよ?後任が決まれば養成所に戻って教科を受けて貰わないと」
「でも、でも!あれだけの成果があったなら卒業したも同じじゃない!」
淡々と静かに語る律子のプロデューサーに伊織の怒りは限界に達していた。
「伊織ちゃんの気持ちも解らないでもないよ。だけど、養成所も彼からお金を貰って受けてもらってるんだ」
「だからなによ!」
「お金を貰っている以上は彼に教科を教える義務がこちらにはあるんだよ、それにこれは彼の希望でもあるんだ」
律子のプロデューサーの言葉に伊織は息を飲んだ。
「え…?」
「後任が決まったら残った授業を受けたいってね。だから…彼の気持ちも汲んであげて欲しい」
律子のプロデューサーは静かに頭を下げた。
「う…」
「俺からも頼むよ、彼は失いたくない人材なんだ」
「…たわよ」
ポツリと聞こえるか聞こえないか位の声で伊織は呟いた。
「…」
頭を下げたまま律子のプロデューサーは続きを静かに待つ。
「解ったわよ!後任の件了承するわよ!」
じれったさに痺れを切らした伊織はプイッと顔を背けながらそう言い放った。
「ありがとう」
顔を上げた律子のプロデューサーが嬉しそうに微笑む。
「その代わり」
「その代わり…?」
「連絡待ってるとだけ伝えておきなさいよね」
そう静かに言うと伊織は事務所を後にした。
その口調には微かな寂しさが紛れている事を律子のプロデューサーは僅かに感じ取る事が出来た。
元プロデューサーの携帯電話が手の平で小さく震えた。
パカッと携帯電話を開くとメールの着信が1通届いたのを待ち受け画面が知らせている。
送信者は伊織だった。
件名は無い。
ただ本文に「いいわよ」とだけ書かれていた。
フッと小さく笑って元プロデューサーは携帯電話を閉じた。
「いってらっしゃ〜い」
表情から返事の内容を読み取った次席が咥え煙草で手を振る。
主席もそれにならって手を振った。
「ぬぅ…面白がってない?」
携帯電話を左のズボンのポケットにしまいながら元プロデューサーは言った。
「面白がってますん」
主席がわざとらしく言う。
「どっちだよ!まったく…じゃあ行ってくるよ」
そう言って元プロデューサーは近くにあった鞄を掴むと出口に向かって歩き出した。
「上手く行くといいねぇ」
次席が背中を見送りながらそう呟いた。
「上手くやるでしょ、彼なら…ん?」
主席が言うと歩いていった筈の元プロデューサーが息を切らせて走って戻ってきた。
「どうしたんだ…」
「はぁっ…はぁっ!一つやり忘れた事がある!」
息も絶え絶えに元プロデューサーはそう言った。
「やり忘れたこと?」
「はぁ、まあ…おまじないみたいなもんだけど」
そう言って右手を顔の高さまで上げる。
「僕は見送る方だからね」
「一番最初に正式プロデューサーになりそうだけどね」
主席は言うと元プロデューサーの右手に軽く手を合わせた。
「まぁお礼だけ、ありがとう」
次席も右手を合わせる。
「ん〜すっきりした、じゃあいってくるよ!」
そう言って戻ってきた時と同じ様に走りながら元プロデューサーは消えて行った。
「ハイタッチとはねぇ」
「いいんじゃないかな?青春ぽくて」
「そんな歳でもないような気が…」
「まあね…」
その夜
知る人ぞ知る夜景スポットの小高い場所にある公園の手前で一台のリムジンが停まった。
ヘッドライトの先には人影が小さくポツンと映っている。
「ここでいいわ」
「夜も遅いので何分お早目のお帰りを…」
「解ってるわよ、もう…。それに平気よ。アイツと一緒なんだから」
伊織が降りるとバタンとドアが閉められた。
「行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ」
そういい終えるとリムジンはUターンして走り去っていった。
伊織が歩いてしばらくすると人影はこちらに気付いたのか軽く手を上げた。
「やぁ」
「やぁじゃないわよ!やっと連絡寄こしたかと思えばこんな所に呼び出して」
「ははっ、ちょっと静かな所で話しがしたくてね。ちょっとだけ登るよ」
そう言うと元プロデューサーは右手を差し出した。
「まだ登らせようって言うの!ほんとに気が利かないわね」
そう言いながらも伊織は左手を重ねた。
少し登ると海が一面に広がり近くにある遊園地が煌びやかに光を放ち確かに夜景スポットとしては良い場所だった。
近くにあるベンチに二人で腰を掛ける。
「おぉ、噂に違わぬ夜景だねぇ」
少し感動を覚えた嬉しそうな声で元プロデューサーは言う。
「そうね、綺麗な夜景ね」
反面伊織は少し儚げにそう呟いた。
「それで、まさかこんな夜景を見せる為にここに呼んだんじゃないわよね?」
伊織がムッツリとした口調で話しかける。
「ん〜夜景も半分かな。ちょっと話しがしたくてが半分」
元プロデューサーの言葉に伊織はクスッと笑みを零した。
「相変わらずなのね、アンタは」
「僕は僕だからね」
「話しって言うのは何なのよ」
ぼんやりと夜景を眺めながら伊織は言った。
「最近調子はどうかなぁって。結構波があるみたいだからさ」
元プロデューサーが言うのはディアマインのオーディションの成績の事だった。
「そうね、誰かさんが急に辞めたりするから調子が狂って仕方ないわね」
伊織が悪戯っぽく笑う。
「おぉ…今日は痛い所を突かれる日なんだな…」
「何よそれ」
「いやこっちの話しで…」
「そうね、最近解らないのよ。確かにアンタと一緒に取った秋の祭典は勝ち取ったって気がするわ」
「半分インチキみたいなもんだけどね」
ははっと元プロデューサーは笑った。
「でもここ2ヶ月位、そう言う実感が無いのよ。確かにTV出演とかは楽しいし、華やかな舞台ではあるんだけど」
久しぶりに会った所為か伊織は前と比べて少し大人びた雰囲気で話し出した。
「ふーん」
「後任のプロデューサーは、まぁ頑張ってるんじゃないかしらね」
「相変わらず辛口だね」
「勿論よ。勝ち続けなければ意味が無いわ」
「まぁそれも一理」
「ああ、なんだか考えてるとイライラするわね!アンタの所為よ!」
突如、伊織は憤りを露にした。
「今まで素直だったのに…」
元プロデューサーそう言いながらもどこか懐かしい感じを覚えていた。
「うるさいうるさいうるさーい!アンタはどうなのよ!」
「僕?」
「そうよ!人の事いきなりほっぽらかして何してたのよ」
「うぅ、それはすまないと思ってるんだけどね…。僕は何も変わってないよ、養成所で勉強してただけかな」
「私たちをほっぽらかす程、重要だったわけ!?」
「うーん…重要ではあったかな。僕自身まだ未熟だったわけだし、それに元々臨時雇いだったからさ」
「私はそんなの許可してないわよ」
「そうくるのか…」
「得た物はあった訳?」
再び伊織のトーンが下がる。
「え?」
「ちゃんと勉強して得た物はあったのかって聞いてるの!」
「あぁ…うん、ちゃんと得た物はあるよ」
「そう…それならいいわ」
「…」
「アンタがそれで良かったのならそれでいいわよ」
伊織はどこか寂しげにそう呟いた。
「うん、ありがとう」
「…」
「…」
それからしばらくお互いに何も言わぬまま沈黙と肌寒い風だけが流れていた。
「伊織、あれ」
元プロデューサーが指差した方向には一つの輝いている星があった。
「星が何よ」
「と、あれとあれ」
次々と指さす方向を伊織は視線で追った。
「アルタイル、ベガ、デネブ。夏の大三惑星って言うんだ」
「は?」
「いやだから大三惑星」
「アンタほんと馬鹿ね…第三角形でしょ」
「あれ…そうだっけ」
「良くそれで情報収集が得意とか言えるわね、呆れて物が言えないわ」
クスクスと嬉しそうに笑いながら伊織は言った。
「むぅ、失敗したな」
元プロデューサーは顎をさすった。
「こんな所に呼び出してまさかあんな星を目指せとか言うんじゃないでしょうね…」
「まさか」
「そうよね」
伊織が予想してた通りの答えに嬉しそうに声を上げた。
「だってもうあんな星じゃない、伊織達は」
「は?」
「トップアイドルって言える位の位置に居るんだから今更あんな星になれなんて言えないよ」
「じゃあ、何なのよ。まさかそれが話したい事な訳?」
「うん、もうちょっと待ってよ」
元プロデューサーが腕時計に視線をずらした。
「あと数秒だね」
元プロデューサーが言ってしばらくすると予めセットしてあったのか腕時計がピピッと電子音を上げる。
そしてしばらくすると遊園地の明かりはその殆どが消され辺りは真っ暗になった。
「ちょっと真っ暗じゃない!」
「真っ暗だねぇ」
「夜景も何も無いじゃない!」
「夜景は無くなっちゃったね」
「何が言いたいのよ!夜景が見せたいとかさっき言わなかった?」
「伊織、ほら。空見て」
「星の話しはさっきして…」
伊織は空を見上げて驚きを隠せなかった。
「うそ!?さっきはあんなに…」
伊織が見上げた空は先程とは打って変わって幾千といえる程の無数の星がキラキラと輝いていた。
そしてその輝きは海にも散らばり波がそれを静かに揺らしていた。
「僕が言いたい事解ってもらえた?」
「わ、解らないわよ!いちいち回りくどい言い方するわね!」
「性格だからね」
はははっと小さく元プロデューサーは笑った。
「例えるなら夜景はオーディションとかTV出演、第三角形は伊織達ディアマインかな。新しく見えたのは他のアイドル達」
元プロデューサーが語るのを伊織は珍しく黙って聞いていた。
「キラキラと輝くステージで伊織達は確かに輝いているんだよ。そしてオーディションに勝てなきゃ意味が無いって僕も思ってたんだ」
伊織は小さくコクンと頷いた。
「でもそれだけじゃなかったみたいなんだよね。僕も今星空を見て確信したよ」
「…」
「街の明かりが強すぎて他の小さな大切な星が見えない」
「どう言う意味よ」
「輝く星はまだ他にも沢山あるんだ。夜景の明かりが綺麗だったから見えなかっただけで他にも輝いている星達はいっぱいある」
「そして、伊織達はその中でも一際強く輝いてるんだよ」
「それは、何となく解る気がするけど」
「でも、今みたいに本当に輝く為には暗がりが必要なんじゃないかな?」
「…」
「失敗や自分を見つめ直す事で今以上に輝く事が出来るし、他のアイドル達と自分達を見比べて更に成長が出来るんじゃないかなって」
「そう、かも知れないわね…」
「うん、きっとそうなんだと思う。それが僕のここ最近で得た物かな。伊織達と組んでとても勉強になったよ、ありがとうね」
そう言うと元プロデューサーはペコリと頭を下げた。
「んなっ!別にそんな事しなくたっていいわよ…。私もちょっとは楽しかったし」
照れ臭そうに頬を染めながら伊織は顔を背けた。
「うーん、しかし予想してたとは言え綺麗だなぁ。ここの星空」
「そうね」
伊織は俯き加減にそうポツリと呟いた。
「アンタの言うとおりこれ以上輝く為には少し位何か無いとダメかも知れないわね」
「伊織達は大丈夫なのかもしれないけどね、偉そうな事言っておいてなんだけどさ」
そう言って元プロデューサーは微笑んだ。
「アンタ、これからどうするのよ。あと少しで正式に卒業するんでしょ?」
「うーん…」
「プロデューサーになるんでしょ?」
「うーん…」
「ちょっとそこで悩むの?」
「うん…いや、講師もいいかなってさ」
プロデューサーの言葉を聞いた瞬間、伊織の背中を冷たい血が通り抜けた。
「ちょっと、ちょっと待ちなさいよ…」
伊織の声が微かに震えた。
「講師になるなんて、許さない…許さないんだからっ!」
元プロデューサーの言葉に急に伊織の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「アンタと過ごしたのはほんの一ヶ月よ。でも、でも…充実してた。確かに輝けてたのに…うぅ」
伊織の口から嗚咽が漏れる。
「アンタからの連絡を待ってた私はどうすればいいのよっ!少しは、少しは気を利かせなさいよ!」
溢れる涙を拭おうともせずに伊織はただじっと元プロデューサーの眼を見つめていた。
「…」
「戻って…うっく、来なさい、よぉ…」
「伊織…」
泣きじゃくる伊織に手を伸ばそうとした時、伊織はギュッと元プロデューサーに抱きついた。
「約束しなさいよ、今」
止まらない嗚咽を抑えながら伊織は元プロデューサーの胸でそう呟いた。
「…」
「…」
「約束は…出来ないよ…」
その言葉にまた涙が溢れ出る。
「その代わり、答えが出るまで知り合いとして付き合っていこうよ。それじゃダメかい?」
元プロデューサーの言葉に伊織はグスッと鼻を鳴らした。
「解ったわよ…それで、我慢しておくわよ…」
自分で自分を納得させる様にそう呟くと伊織は身体を離した。
「ごめん」
「…」
「そろそろ帰ろうか…」
伊織は小さく頷くと何も言わずに左手を差し出した。
そして元プロデューサーが重ねた右手をギュッと強く握った。